2018/08/24

赤いランドナーに乗って

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復活した赤いランドナーには2013年2月ころから少しずつ乗り始めた。古い自転車だし丁寧に組んだつもりでも何があるかわからないので恐る恐る(笑)。
ポジションは、元々サイズは合ってるし何よりこの時代の設計は僕には合っているように感じる。問題もいくつかわかってきた。まず低速でハンドルがフラフラ?チョロチョロ?する。縦溝の道路を行くような感じ。ヘッドのベアリングの具合は悪くは無かったし、車輪の振れ取りもやり直した。タイヤはすり減り気味だが真円度は問題ないように思える。多分フレームの芯が狂っているのだろうかと???。
後変速機アルビーの操作は楽しい!他に比べるとロングストロークで動く変速レバーが良い。ツーリングで昔の人がよく使っていたのはこういう気分になれるからだろう。しかしトップへは落ちにくい当初は5回に1回くらいしか入らない。逆にローはハブ側に何度調整しても落ちやすい?これは実用上まずい。自作のスペーサー金具のせいか?
良いことは乗り心地が良いこと!BROOKSのB17は表面はひび割れだらけだが乗ってみるとこれがとても良いしなり具合で650×38Bタイヤとの相乗効果かとても楽、楽しい乗り心地。
心配したブレーキもゴムを今風に変えた効果かそこそこ効く。かなり時代の違う高性能のゴムにブレーキ本体(TOEI 540T式)が耐えられないのではと心配したがそうでもなさそうだ。

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古いブレーキだし軸にガタが有ってもおかしくないのだけれど、さすがTOEI職人技か?。取付台座の形もMAFACよりも好ましい形でしっかりしてるのが良いのか?!。

気になるのはギア比、フリーは選択肢が狭いが軽いギアが欲しいのでサンレース(超低価格だが使える)の14・17・20・24・28T最初の14・17が離れているのが使いづらい。チェーンホイールは余っていた5アーム、現代的なので合わないかと思ったが付けてみると意外とまとまって見える。5アームPCD110はリングの数も多いので好きなギア比が選べるとも考える。アウターは46Tとしたがフリーのトップになかなか入らないので46×17は平地巡航ではかなりクルクル回す。インナーのMin34Tが今の脚力ではもう少し小さいのが欲しいがこれが5アームの欠点?。そこでわずかな抵抗、スペシャルでTAの33Tを付ける。たったの1T減!33Tはクランクアームをチェーンが削る(笑)。この仕様で10%くらいまでの坂はなんとか行けるが12~14%を越えると自分には苦しい。もう少しなんとかしたいがまあしばらくこのまま。

サイクリング中にブレーキに泥が詰まってホイールを外した時に再度はめようとするとハブよりフレームが幅広く開いている!組んでいるときに気づいていたが、実際に運用するとこういうときにやっかい。ハブのOLDは100×120なのだがフレーム側は120×135位有る。幸いウイングナットハブなので可動範囲は広い(笑)。ここら辺が低速フラフラにつながっているのかな?。

電装はダイナモ+配線を止め、電池式LEDライトとしたが、ダイナモのブラケットとコードを吊る小さな輪がフレームに溶接されている。見た目は悪いが内蔵よりも潔くて良いとこの歳になると思う。ハイテンチューブだが必要なものはすべてブレーズドオンされているその時代のスペシャルメイドだ。世田谷の長谷川さんのところで昔TOEIの特殊工作(昔はコード内蔵とか標準的?でない直付等の加工をこう呼んだ)フル満載=サンプルフレーム?を見せてもらったがこれもハイテンだったなー。
テールランプはソーラー+充電池式の自動点滅型を泥除に装着。不意にトンネルに入るときなどに良いと思うので愛用してるが、充電池は時々チェックしないと2年くらいで駄目になる。

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2018/08/09

赤いランドナーの復活

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しばらく休んでいたが、また書いておこうと思うこと有り。

Akiさんにもらった自転車をいろいろいじりながら楽しく乗っている。1970ALPS Quick Aceよりもさらに時代を遡る品だが、どうやらこの時代の自転車が自分には合っているようだ。
Akiさんが大学生のころ山王自転車(山王スポーツ?)にて中古の東叡でオーダーされたもの(フレームにTOEIの文字は無いのでショップブランドかも)を手に入れたと言っていたので1963年以前に製作とみられる。

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いただいたのは2002年4月ころだが、物置でずっとフレームと車輪+いくつかの部品の状態で眠り続けていた。一時は走れるようにするべく不足部品を用意したりと準備はしていたのだが、遅々として進まずに数年が経つなーと思っていたのだが、なんと10年+の歳月ほったらかしている!と分かった。
恐る恐る外に出して埃を払ってみると、フレームには以前には無かったと思われる?サビが浮いている。これは何とかしないと…ではまず自転車としての形を取り戻そうと2012年の10月ころから取り掛かり2013年2月ころにようやく”ほぼ”もとの形?に戻せた。
まずフレーム、ハイテンは錆びやすいと聞いていたが・・・。ともかく表面に浮いた錆をペーパーやドライバーの先などで落としたあと、再塗装はしたくないなぜなら僕はこの色が好きだから!そこでサビチェンジャー(自動車の補修用品)を全面的に塗ってみた。半乾きで錆の無いところは拭き取るが、汚く残ってしまったところも。でもまあこれで進行は遅らせられると思う(今までの短い経験から(笑))。
欠損部品のうちハンドル・ステム・ブレーキレバー・チェーンホイール・チェーン・ウイングナット・ガードステー(一本破損)・ガード取付小物・ケーブル類、以上は手持ちが有る。変速機=ディレーラーはどうするか?後ろはアルビーが付いていたとのことで、エンドを見るとどうやらhuret専用と手前にさらに古い変速機用とおぼしきブラケット状になっている。で世田谷に行き「最終型のアルビー」をゲット。これが間違い(笑)最終型はカンパエンド用のパーツが付属でこのフレームに付けると本体がとんでもない角度になる。古いアルビーを使えば良いかと思うが高価だし、世田谷の親爺が言うには「最終型は良く動き良く変速する(変速機なんだから当たり前だろ!(笑))」とのことだったので、このパーツを自作する。厚めのアルミ形材を削って完成!これが意外と上手くいって調子に乗る。前変速機は手持ちの島野古めのメッキがアルビーと合っているので。
変速レバーはhuret製が付いていたが、留めてる蝶ネジ状の「蝶」の部分が無い。ネジ頭に穴は空いているのでここに小さいネジを通しアルミ管で胴体を作った。これで走行中もネジを締められる(huretのレバーは締めすぎるとキツく、やや緩い感じが軽くてロングストロークに合っているので、走行中にも調整したい)。変速ワイヤーも大変であった!国産のワイヤー頭の形状ではレバー穴に入らないので削る。

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ブレーキは東叡540T式キャンティレバーが付いていた。ReneHerseオリジナルの磨く前みたいな感じ。さすがにゴムはこの時代のでは止まれない(笑)なので現代風でトーインも調整できるシューに変えた。千鳥ワイヤーは訳を話すと世田谷の親爺さんがゴソゴソと出してきたのでスペア含めて購入。両側に小さい太鼓付って調節も出来ないし先を考えるとなんとかしたいとは今後の課題。
チェーンホイール+リングは杉野ダイナホローが付いていたがコッターピンに良い物が手に入らなかったりギア比を変えたかったりで手持ちの5アームに。5段フリーはアトムが付いていたがAkiさんはよく走ったのだろう、かなりすり減っていたので、ワイドな物に交換。ハブの分解グリス交換をしてホイールもスポークを緩めて再度振れ取りをした。タイヤも結構すり減ってはいるがWOLBER BALOONの刻印が「そのままにしてくれ」と言ったので(笑)。
意外と問題だったのがボトルホルダー。当時は取付穴の間隔が違ったのか東叡オリジナルなのか現代の物より間隔が狭い。イマドキので加工しようと思ってもなかなか適した物が見つからなかったが、高級品では無いが量販店で見つけて自力加工。
これでようやく「赤いランドナー復活」となった。

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復活当初はこんな感じで、まだボトルホルダーに暫定版が付いてる。灯火類はダイナモは重いのでやめてキャリア左にLEDライトを取り付けていた。最初の写真は最近のさらに変貌(進化)した姿である。

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2011/03/25

すべての建築士のための総合研修

昨日は、「建築士法第22条の4に基づくすべての建築士のための総合研修」に行ってきた。

これは震災の前に参加を申し込んであったので、数日前に主催者に問い合わせの電話をかけた。「…は予定通り開催されますか?」元気よく『はい、こちらは問題ありません』こんな時なので、そちらが問題なくても参加するこちら側それぞれにも問題があるだろうにと思う。

研修の冒頭で主催者から諸注意があるなかで、「ちなみにこの建物は損傷無しです」と、会場の横浜はたしかにかなり揺れ、被害が出ていたのでと思う。

研修は3部に分かれており、1部は神奈川県県土整備部建築住宅部建築指導課(なんとも長い)の方が壇に立たれた。話を聞くがどうにも入ってこないのだ。テキストとの連動も解説もなく、どこを説明しているのかも曖昧で、ただ短い時間内に決められたことを話さなければという感じ。こんなときに集まった人々はみな真剣なのに…ややあきらめの境地である。

2部3部はいずれも設計事務所をやっておられ実務に従事している方々が講師をつとめる。こちらはそれぞれ非常にわかりやすく簡潔で、正直この手の研修は眠くなるのだが、今回はそれもなく一日聞けました。1部の段階でやれやれと思ったが、お二人の講師のおかげで真剣に研修に集中でき、朝早い電車(計画停電の影響有り)で出てきても良かったと思うことが出来た。

帰りはエレベーターは混雑するので隣接する階段を利用したが、そこの壁が一部剥げ落ちていた。地震の爪痕であろう、それであの冒頭の?!と妙な納得をした。

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2011/03/23

緊急住宅?仮設住宅?

被災者用の住宅というものがどういう物か知らないが、やはり何かしなくては、と思い。考えてみた。もちろんBe-h@usで。十分ではないのだが、何もせずにはいられない。

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できるだけ早くでき、建築屋:大工や職人がいなくても造れる。もちろんプロがいればより良いが、素人でも可能な方法で建てる。単位建物キット。

規模は小さいが出来るだけ使えるスペースが多い方がよい。
現場での加工が少ない簡単な作業で可能なことから、金物接合+集成材の軸組構法。軸組構法は馴染みがあって、誰もが手伝える可能性がある。
部材は1~2人で出来るだけ取り扱いが可能な寸法・重量とする。コンパクトにこだわり、1単位(キット)では部材の延長・継手の無いもの。
窓サッシ・断熱材などは既存の規格品が使用出来る寸法系統を持つこと。
屋根面は各種ソーラー利用を考慮し、利用可能な面積の多い形態にする。
以上から平面規模はメーターモデュールなら間口3m×奥行き4m、910モデュールなら3.64m×4.095mか?。

カギは基礎をどうするか?

連棟やずっとつなげて大きなものとして、その大きなユニットごとに浴場や共有する小センターを設ける。また別に個々に他のユニットを付けてゆくことも考えられる。
もちろん立地条件は高台に限るのである。いままでの町の構成では不十分なことを考えにいれた基本構想が必要であるが、今まさに人工物の限界を悟るべしなのだ。

それにしても原発が心配だ…。

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2011/03/17

東北地方太平洋沖地震

2011年3月11日14時46分ころ…私は家から数キロ離れたところで車に乗っていた。上り坂の信号機で停まっていたが、どうも車が風で揺れるような感じがした。しかし、道路両側は擁壁が有って風に直接当たるはずがないのだ!地震かな?心の中でつぶやく。

信号が変り、右折、やや走るとさらに揺れる。地震だと確信したのはこのとき。揺れはじきおさまるだろうと進んだが、さらに揺れは大きくなっていく。さすがに危険を感じて広めの路肩に車を止めたが、揺れはいっこうに収まらず!よりましていく。みると沿道のコンビニからも店員や客だろうか駐車場に飛び出ていた。近くにある電信柱がぶんぶんと振れ、倒れるのではないかとそればかり気にしていた。道路の行き先を示す看板にあっては片持ちだからであろうか、ひどく揺れている。

どのくらい揺れていたのか?いつになったら止るのかと思うほど長い時間に感じた。車はサスペンションの加減も有るだろうが、外から大男が数人で揺すっているのではとおもうくらい揺れる!とにかく尋常ではないのだ。私の生きてきた限り最大で最長の揺れを感じた。おそらく5分からそれ以上かもしれない?

やっと車の揺れが収まったが、片持ち看板はずっと揺れ続けている。自宅は古屋なので急に心配になって、家族へ電話するが携帯も家の電話もつながらない!廻りを見ると同じようなドライバーが多数。ともかく用事は中止して家へ帰ることにするが、途中国道255号線で道路が冠水しているのが前方に見えた。水道管だと直感して、すぐさま迂回遠回りして、さらに念のため川を渡る橋も一番新しい橋を選んで帰宅することにする。それくらい恐怖を感じる揺れだったのだ。

家に着くと、建物家族とも無事を確認。母と姉がすでに脱出用のリュックを玄関に出しているのを見て驚くよりもなにかホッとしてしまった。(当地での震度は当初「5弱」と発表されたが、のちに「4」に訂正された。数字以上のものを感じる地震であった)

すぐにTVの画面に見入る。やがて東北地方の惨状が、激震・巨大津波・原発と恐ろしいスピードでたたみかけてくる!まったく予断を許さない。以来今日まで何をして良いのやら…我を失うというのか…ただただTV画面やラジオの情報に釘付けとなる。気がついたら今日になっていた。忘れないうちにと思いこれを書く。

2011.03.25

表題およびカテゴリー名を変更。「地震」としては気象庁より『2011年東北地方太平洋沖地震』となっているので、それに習うこととした。「震災=災害名」としては「東北関東大震災」「東日本大震災」などと現在は呼ばれている。

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2009/01/10

消せるインクペン

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近所を散歩や自転車ポタリングするのに最近はツール・ド・ジンジャだったり、今まで通ったことのない道を通ろう!、なんて地図にルートを書き込むのは良いがやがて色の付いた道がゴチャゴチャしてわからなくなる。単に記録する用の地図は塗りが増えた方が楽しいが、持って歩くやつはそれが『消せると良いな』と思って「e-GEL」(写真下の2本)という消せるインクペンを使ってみた。書き味はイマイチなのだが、確かに地図には便利だ!目的地にマークしたり、予定ルートを塗っておくだけで一目でさっと地図が把握できるようになる。これがいくつもラインが書いてあるとそうは行かない、色を変えたりするがやっぱり消えてくれるのが一番見やすい(実はほっぽっておいても消えたり薄くなる)。

味をしめて、ちょうどマーカーを買おうと思っていたので”こすると消える蛍光ペン”「ERIXION light」(写真上の2本)にした。普通のものより塗料っぽくて不透明感がある。粉っぽい仕上がりとでもいうかな?。しかし失敗が許されるマーカーはちょっと魅力である。さらに調子に乗って「FRIXION ball 0.7」(写真真ん中)これは普通の水性ボールペンのように書き味も軽く値段もこの中では一番高い。と揃ってしまったが気づくと(遅い)どれもPILOT製であった!”消える”はPILOTの得意技なのか?インクの鉛筆ってところですかね。

これらは専用の付属ゴムで消すが、普通の消しゴムで消える米国製のペーパーメイト リプレイマックスなんていうのも有るらしい。しかもこちらは油性インクで書き味も普通のボールペンと変らず、時間が経つと消せなくなる!というシロモノ。使い道によってはこっちも便利。消せるインクペンはなかなか奥が深いようです。

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2008/12/14

通りがかりの自転車10

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これは通りがかったというか、仕事を終えて帰ろうというときにその現場の真ん前に置かれていたのです。向こうが通りがかったんですね。

MONTAGUEです。知っている人は知っている、1990年代前半だったと思いますが、MTBが社会的ブームになったころのメーカー(今でも有るらしいです)。珍しかったのは、このMTBは折りたたみ式だったこと!頑強なMTBのイメージに合わないのか、折りたたみMTBを謳っていたのは少なかったと思うなぁ?確かこれにも「悪路は走れません」的な注意書きが有ったような無かったような???

特徴的なその折りたたみ方法は、写真でも何となく想像が付く人はいると思いますが、シートチューブを軸に2つに折れる!という至極単純な方法。シートチューブの上下にクイックレバーが付いていてそれを弛めてクルッですね!きっと(やったことはないので)。そのためにダウンチューブはクランク軸よりも下に付いています。ということはシートチューブは二重なんだー、じゃあどうやったって重いよな、とか勝手な想像していたものです。

ハンドル+ステムはオリジナルからアップターンバー+水平ステムに、サドルはセライタリアのロード風、バッテリーライトも最新鋭と大事にされて使われているのでしょう。趣味の良い感じです。

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2008/11/07

Eddy Merckx と会った!

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ここ最近の恒例でサイクルモード2008に行った。なかなか時間が作れず、今年は行けないかと思ったが初日金曜は21:00までやっていたのだった。

とあるブースの前に人だかり!のぞき込んで、背筋がスーッとするのがわかった。別になにか出たわけではない、かつて少年サイクリストであったころ自転車ロードレースの記事で名前は飽きるほど見たその人エディ メルクスが立っていた。今ではメーカーとしてのメルクスしか知らない人も多いのだろうが、 周囲はそのオーラに包まれ妙にシーーーンとなっているところへ、携帯電話の着信音!誰だよこんな良いときに。メルクスがポケットから携帯電話を出して話し始めた(笑)。

偉大な選手であるとともに、自転車を大きく進化させた人だとずっと思っている。メルクス以前は競技用自転車に余計な溶接や穴開け軽量化は御法度だった。

がんばって行って良かった。

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2008/03/20

箱根仙石原 ポーラ美術館

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ポーラ美術館、ギアナ高地の巨大縦穴のような建築だというのはちょっとおおげさか?「箱根の自然と美術の共生」という建築のコンセプトはなし得たのか判らないが、地上階から続く吹抜けの光は大地の裂け目から降り注ぐように内部では感じられ、気持ちの良いものだった。吹抜けは天井も壁もガラスだらけなのだが、筋目のフロストガラス?の壁が冷たくない表情をしていた。中央の柱にエンタシスも発見!した。

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企画展はフランス風景画紀行だったが、点描の絵画がどうにもデジタルに感じてしまって、日頃からPC文明に侵されている自分に気づいた(笑)。絵に近づいてキャンバスを見ているとドット・dpi・ピクセルみたいなイメージが頭の中に広がってくる。この収集品たちが実は持っている共通テーマなのか?3m以上さがってやっと絵として感じる自分に戻る。

ポーラ美術館の収蔵品を収集した鈴木常司さんは40年余りで約9500点を集めたという。なんとも凄い数を個人でお集めになったものだ。

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2008/02/02

旧吉田茂邸

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大磯町「旧吉田茂邸」へ行ってきた。設計は吉田五十八、もともとの建物は違って増築時からの関わりという。上の内門は日米講和条約締結記念に造られた「講和条約門」で、奥へつながる自動車用の舗石は皇太子(現天皇)ご訪問用だったらしいが、実際には徒歩で入られたという。内側から見ると兜門の形状になっている。

写真下左は玄関入って左奥の食堂兼会談室で、壁は赤く染めた子羊の革をキルティング状に張ったもので室内から真正面に富士山が見えるはずが、この日はあいにく雲が多くて見えなかった。窓の内側にはかなり大きなマス目の障子(300×400くらいか?和紙ではなく樹脂が入っている、見込40以上)が引込まれる。外の手摺の腰壁部は触ってみたがフレキシブルボード?のようだった。下右、玄関周りのアルミパイプによる下地窓はアルミ独特の錆が醜いが帰って落ち着いていたようにも感じた。残念ながら内部は写真不可。

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