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2011/03/25

すべての建築士のための総合研修

昨日は、「建築士法第22条の4に基づくすべての建築士のための総合研修」に行ってきた。

これは震災の前に参加を申し込んであったので、数日前に主催者に問い合わせの電話をかけた。「…は予定通り開催されますか?」元気よく『はい、こちらは問題ありません』こんな時なので、そちらが問題なくても参加するこちら側それぞれにも問題があるだろうにと思う。

研修の冒頭で主催者から諸注意があるなかで、「ちなみにこの建物は損傷無しです」と、会場の横浜はたしかにかなり揺れ、被害が出ていたのでと思う。

研修は3部に分かれており、1部は神奈川県県土整備部建築住宅部建築指導課(なんとも長い)の方が壇に立たれた。話を聞くがどうにも入ってこないのだ。テキストとの連動も解説もなく、どこを説明しているのかも曖昧で、ただ短い時間内に決められたことを話さなければという感じ。こんなときに集まった人々はみな真剣なのに…ややあきらめの境地である。

2部3部はいずれも設計事務所をやっておられ実務に従事している方々が講師をつとめる。こちらはそれぞれ非常にわかりやすく簡潔で、正直この手の研修は眠くなるのだが、今回はそれもなく一日聞けました。1部の段階でやれやれと思ったが、お二人の講師のおかげで真剣に研修に集中でき、朝早い電車(計画停電の影響有り)で出てきても良かったと思うことが出来た。

帰りはエレベーターは混雑するので隣接する階段を利用したが、そこの壁が一部剥げ落ちていた。地震の爪痕であろう、それであの冒頭の?!と妙な納得をした。

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2011/03/23

緊急住宅?仮設住宅?

被災者用の住宅というものがどういう物か知らないが、やはり何かしなくては、と思い。考えてみた。もちろんBe-h@usで。十分ではないのだが、何もせずにはいられない。

Be304type240

Be304kn240

Be-403type 緊急簡易(単位?)建築・シロウトビルドできるものは?

できるだけ早くでき、建築屋:大工や職人がいなくても造れる。もちろんプロがいればより良いが、素人でも可能な方法で建てる。単位建物キット。

規模は小さいが出来るだけ使えるスペースが多い方がよい。
現場での加工が少ない簡単な作業で可能なことから、金物接合+集成材の軸組構法。軸組構法は馴染みがあって、誰もが手伝える可能性がある。
部材は1~2人で出来るだけ取り扱いが可能な寸法・重量とする。コンパクトにこだわり、1単位(キット)では部材の延長・継手の無いもの。
窓サッシ・断熱材などは既存の規格品が使用出来る寸法系統を持つこと。
屋根面は各種ソーラー利用を考慮し、利用可能な面積の多い形態にする。
以上から平面規模はメーターモデュールなら間口3m×奥行き4m、910モデュールなら3.64m×4.095mか?。

カギは基礎をどうするか?

連棟やずっとつなげて大きなものとして、その大きなユニットごとに浴場や共有する小センターを設ける。また別に個々に他のユニットを付けてゆくことも考えられる。
もちろん立地条件は高台に限るのである。いままでの町の構成では不十分なことを考えにいれた基本構想が必要であるが、今まさに人工物の限界を悟るべしなのだ。

それにしても原発が心配だ…。

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2011/03/17

東北地方太平洋沖地震

2011年3月11日14時46分ころ…私は家から数キロ離れたところで車に乗っていた。上り坂の信号機で停まっていたが、どうも車が風で揺れるような感じがした。しかし、道路両側は擁壁が有って風に直接当たるはずがないのだ!地震かな?心の中でつぶやく。

信号が変り、右折、やや走るとさらに揺れる。地震だと確信したのはこのとき。揺れはじきおさまるだろうと進んだが、さらに揺れは大きくなっていく。さすがに危険を感じて広めの路肩に車を止めたが、揺れはいっこうに収まらず!よりましていく。みると沿道のコンビニからも店員や客だろうか駐車場に飛び出ていた。近くにある電信柱がぶんぶんと振れ、倒れるのではないかとそればかり気にしていた。道路の行き先を示す看板にあっては片持ちだからであろうか、ひどく揺れている。

どのくらい揺れていたのか?いつになったら止るのかと思うほど長い時間に感じた。車はサスペンションの加減も有るだろうが、外から大男が数人で揺すっているのではとおもうくらい揺れる!とにかく尋常ではないのだ。私の生きてきた限り最大で最長の揺れを感じた。おそらく5分からそれ以上かもしれない?

やっと車の揺れが収まったが、片持ち看板はずっと揺れ続けている。自宅は古屋なので急に心配になって、家族へ電話するが携帯も家の電話もつながらない!廻りを見ると同じようなドライバーが多数。ともかく用事は中止して家へ帰ることにするが、途中国道255号線で道路が冠水しているのが前方に見えた。水道管だと直感して、すぐさま迂回遠回りして、さらに念のため川を渡る橋も一番新しい橋を選んで帰宅することにする。それくらい恐怖を感じる揺れだったのだ。

家に着くと、建物家族とも無事を確認。母と姉がすでに脱出用のリュックを玄関に出しているのを見て驚くよりもなにかホッとしてしまった。(当地での震度は当初「5弱」と発表されたが、のちに「4」に訂正された。数字以上のものを感じる地震であった)

すぐにTVの画面に見入る。やがて東北地方の惨状が、激震・巨大津波・原発と恐ろしいスピードでたたみかけてくる!まったく予断を許さない。以来今日まで何をして良いのやら…我を失うというのか…ただただTV画面やラジオの情報に釘付けとなる。気がついたら今日になっていた。忘れないうちにと思いこれを書く。

2011.03.25

表題およびカテゴリー名を変更。「地震」としては気象庁より『2011年東北地方太平洋沖地震』となっているので、それに習うこととした。「震災=災害名」としては「東北関東大震災」「東日本大震災」などと現在は呼ばれている。

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