東北地方太平洋沖地震
2011年3月11日14時46分ころ…私は家から数キロ離れたところで車に乗っていた。上り坂の信号機で停まっていたが、どうも車が風で揺れるような感じがした。しかし、道路両側は擁壁が有って風に直接当たるはずがないのだ!地震かな?心の中でつぶやく。
信号が変り、右折、やや走るとさらに揺れる。地震だと確信したのはこのとき。揺れはじきおさまるだろうと進んだが、さらに揺れは大きくなっていく。さすがに危険を感じて広めの路肩に車を止めたが、揺れはいっこうに収まらず!よりましていく。みると沿道のコンビニからも店員や客だろうか駐車場に飛び出ていた。近くにある電信柱がぶんぶんと振れ、倒れるのではないかとそればかり気にしていた。道路の行き先を示す看板にあっては片持ちだからであろうか、ひどく揺れている。
どのくらい揺れていたのか?いつになったら止るのかと思うほど長い時間に感じた。車はサスペンションの加減も有るだろうが、外から大男が数人で揺すっているのではとおもうくらい揺れる!とにかく尋常ではないのだ。私の生きてきた限り最大で最長の揺れを感じた。おそらく5分からそれ以上かもしれない?
やっと車の揺れが収まったが、片持ち看板はずっと揺れ続けている。自宅は古屋なので急に心配になって、家族へ電話するが携帯も家の電話もつながらない!廻りを見ると同じようなドライバーが多数。ともかく用事は中止して家へ帰ることにするが、途中国道255号線で道路が冠水しているのが前方に見えた。水道管だと直感して、すぐさま迂回遠回りして、さらに念のため川を渡る橋も一番新しい橋を選んで帰宅することにする。それくらい恐怖を感じる揺れだったのだ。
家に着くと、建物家族とも無事を確認。母と姉がすでに脱出用のリュックを玄関に出しているのを見て驚くよりもなにかホッとしてしまった。(当地での震度は当初「5弱」と発表されたが、のちに「4」に訂正された。数字以上のものを感じる地震であった)
すぐにTVの画面に見入る。やがて東北地方の惨状が、激震・巨大津波・原発と恐ろしいスピードでたたみかけてくる!まったく予断を許さない。以来今日まで何をして良いのやら…我を失うというのか…ただただTV画面やラジオの情報に釘付けとなる。気がついたら今日になっていた。忘れないうちにと思いこれを書く。
2011.03.25
表題およびカテゴリー名を変更。「地震」としては気象庁より『2011年東北地方太平洋沖地震』となっているので、それに習うこととした。「震災=災害名」としては「東北関東大震災」「東日本大震災」などと現在は呼ばれている。
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