赤いランドナーの復活
Akiさんにもらった自転車をいろいろいじりながら楽しく乗っている。1970ALPS Quick Aceよりもさらに時代を遡る品だが、どうやらこの時代の自転車が自分には合っているようだ。
Akiさんが大学生のころ山王自転車(山王スポーツ?)にて中古の東叡でオーダーされたもの(フレームにTOEIの文字は無いのでショップブランドかも)を手に入れたと言っていたので1963年以前に製作とみられる。
恐る恐る外に出して埃を払ってみると、フレームには以前には無かったと思われる?サビが浮いている。これは何とかしないと…ではまず自転車としての形を取り戻そうと2012年の10月ころから取り掛かり2013年2月ころにようやく”ほぼ”もとの形?に戻せた。
まずフレーム、ハイテンは錆びやすいと聞いていたが・・・。ともかく表面に浮いた錆をペーパーやドライバーの先などで落としたあと、再塗装はしたくない、なぜなら僕はこの色が好きだから!そこでサビチェンジャー(自動車の補修用品)を全面的に塗ってみた。半乾きで錆の無いところは拭き取るが、汚く残ってしまったところも。でもまあこれで進行は遅らせられると思う(今までの短い経験から(笑))。
欠損部品のうちハンドル・ステム・ブレーキレバー・チェーンホイール・チェーン・ウイングナット・ガードステー(一本破損)・ガード取付小物・ケーブル類、以上は手持ちが有る。変速機=ディレーラーはどうするか?後ろはアルビーが付いていたとのことで、エンドを見るとどうやらhuret専用と手前にさらに古い変速機用とおぼしきブラケット状になっている。で世田谷に行き「最終型のアルビー」をゲット。これが間違い(笑)最終型はカンパエンド用のパーツが付属でこのフレームに付けると本体がとんでもない角度になる。古いアルビーを使えば良いかと思うが高価だし、世田谷の親爺が言うには「最終型は良く動き良く変速する(変速機なんだから当たり前だろ!(笑))」とのことだったので、このパーツを自作する。厚めのアルミ形材を削って完成!これが意外と上手くいって調子に乗る。前変速機は手持ちの島野古めのメッキがアルビーと合っているので。
変速レバーはhuret製が付いていたが、留めてる蝶ネジ状の「蝶」の部分が無い。ネジ頭に穴は空いているのでここに小さいネジを通しアルミ管で胴体を作った。これで走行中もネジを締められる(huretのレバーは締めすぎるとキツく、やや緩い感じが軽くてロングストロークに合っているので、走行中にも調整したい)。変速ワイヤーも大変であった!国産のワイヤー頭の形状ではレバー穴に入らないので削る。
ブレーキは東叡540T式キャンティレバーが付いていた。ReneHerseオリジナルの磨く前みたいな感じ。さすがにゴムはこの時代のでは止まれない(笑)なので現代風でトーインも調整できるシューに変えた。千鳥ワイヤーは訳を話すと世田谷の親爺さんがゴソゴソと出してきたのでスペア含めて購入。両側に小さい太鼓付って調節も出来ないし先を考えるとなんとかしたいとは今後の課題。
チェーンホイール+リングは杉野ダイナホローが付いていたがコッターピンに良い物が手に入らなかったりギア比を変えたかったりで手持ちの5アームに。5段フリーはアトムが付いていたがAkiさんはよく走ったのだろう、かなりすり減っていたので、ワイドな物に交換。ハブの分解グリス交換をしてホイールもスポークを緩めて再度振れ取りをした。タイヤも結構すり減ってはいるがWOLBER BALOONの刻印が「そのままにしてくれ」と言ったので(笑)。
意外と問題だったのがボトルホルダー。当時は取付穴の間隔が違ったのか東叡オリジナルなのか現代の物より間隔が狭い。イマドキので加工しようと思ってもなかなか適した物が見つからなかったが、高級品では無いが量販店で見つけて自力加工。
これでようやく「赤いランドナー復活」となった。
復活当初はこんな感じで、まだボトルホルダーに暫定版が付いてる。灯火類はダイナモは重いのでやめてキャリア左にLEDライトを取り付けていた。最初の写真は最近のさらに変貌(進化)した姿である。
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